諸行無常の響きあり

最近ほんとに「諸行無常」と言う言葉を思い浮かべることが大変多くなりました・・・

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、聖者必衰の理を表す・・・

意味は、この世の全てのものは常に同じ状態が続くことはなく、盛んなものも必ず衰えると言った意味をあらわしているとの事。

なんでや?、このような思いをさせられるのはほんとに心が痛みますよねー・・・

出来うれば、魔法を使って、もしくはタイムマシーンで過去に戻って運命を変えたくもなる次第です・・・

私事ですが、最近人様から様々なお願いをされることもずいぶん増えてきました・・・

人様のお役に立たせて頂ける役目を頂くことは、ある意味有難いことではあると感謝も致します・・・

若い頃には思いもよらない気持ち、考え方で、自分でも驚く次第です・・・

さて、自分のビジネスを振り返ってみますと、この10年間くらいは比較的順調に成長してこれたように思えます・・・

しかし、諸行無常の言葉の通り、常に同じ状態が続くと思う、考えるのはとてもではありませんが難しいことです・・・

それゆえ、常に学ぶ姿勢を保ち続けることが大切、また、人生には運と言うことがとても大きく作用するものだと言う事も身を持って実感させられました・・・

運が欲しいなら、当然「福運」を積む努力がいるのは当たり前の条件、しかし、人間は成長するに従い大変な事、しんどい事、人の注意や意見を嫌がる・・・

先人はすごい、「初心忘るべからず」このような貴重な言葉を残してくれていますよね・・・

意味は何かを始めた時の下手だった記憶や、その時に味わった悔しい気持ちや恥ずかしさ、そこから今にいたるまでのたくさんの努力を忘れてはだめですよ、このような意味らしい・・・

ひとりで大きくなったと言う子供、それは違うやろと思う親、人間てほんとに難しい・・・

孔子の論語に、「子曰く、君子は器ならず」と言う教えがあります・・・

意味は、君子は「その働きが決まってしまう」器であってはならない・・・

ひとつだけの能力に限定される人はいわばスペシャリスト、指導者や為政者は何か一つ特別秀でた能力が無くても構わない、自分の役割を限定せず、視野を広くとり、個々のスペシャリスト

にそれを任せる判断が出来ればいい、君子とは「あれはできるがこれはまったくだめ」など得意・不得意、好き・嫌いがはなはだしいような偏った人格でなく、君子たる者、全人格的完成を

目指すべきと言う教えのようですが、思わずため息をつきたくなるくらい難しい、孔子の教え・・・

孔子の論語を学んで教えを達成出来たら、諸行無常を乗り超える事ができますかねー・・・

 

前の記事

菅元総理大臣の想い

次の記事

社会は勝負の世界