1月17日・阪神淡路大震災

1月17日、阪神淡路大震災発生

早朝にドンドンという突き上げる強烈な ショックを受け、ベッドの上で飛び跳ねるような状態に、慌てて外に出てみたら、東の空が一面不気味な紫色に、そして雪がちらついていました・・・

大学生の娘が学校に、持っていく昼食用の弁当のおかずにする天ぷらを揚げていたのですが、あわてて火を消し、火災を免れていましたが、一つ間違えば家が全焼していたかも・・・

床にガラスの容器が飛び散っていたのを見ながら、すぐに会社まで車を走らせ、事務所に入ると机は散乱、書庫は倒れていましたが、当時高額なCAD用のパソコンも壊れておらず、なんとか営業出来る状態でした・・・

お陰で後から、お父さんは家族をほっておいて会社に行ったと厳しい批判を・・・苦笑

すぐさま社員の安否確認、約2名ほど音信不通の状態が1週以上続き心配を致しました・・・

その他の社員は震災当日から出勤してくれて、取引先の電気設備の復旧工事に迅速な取り組みしてくれました・・・

当日の8時過ぎには電話が復旧したからか、お客様から電気設備の故障対応の電話が次々と入り、全力で対応を開始・・・

約2か月間男子社員は休みなしで毎日深夜12時頃まで全員が必で復旧工事に駆け回りました。

そうなんですよね、一時間でも一日でも早く電気設備の復旧をとみんな死に物狂いと言う状態が続きました・・・

当時は携帯電話は私が1台使用していただけでしたが、会社の車には全て業務用無線機を積んでいましたから、それを活用、ずいぶん助かったものです。

約2か月間、休みなしでみんな死に物狂いで電気設備の復旧に働きましたが、だれひとり文句ひとつ言う人はいませんでしたね・・・

人間危機に際して必死でやれば、損得を考える事もなくなんでも出来るものですよ・・・

80時間以上残業は過労死、こんな馬鹿な基準を一体誰がきめたのでしょうかね。

その後、少し落ち着いた頃、社員や従業員のみなさんに何が食べたいと聞いたら、全員が和食、寿司、こんな答え・・・

やっぱり日本人やな、(笑)会社近くの和食料理のお店、笑顔でたっぷり食事をしんでもらいました。

その年の6月には、二班に分けて全員を香港旅行に、外の世界から日本の兵庫の神戸を見せて元気を出させるために。

こんな時に海外旅行して、帰ってきたら取引は停止、などといわれたお客様のありましたが、全員が葬儀気分の落ち込んだ気持ちを海外の生活を見せて気持ちを切り替え、元気をださせようと考えて試みたことです・・・

もっといろんなことが出来たのに、後から考えれば力不足を思う次第ですが、社員や従業員のみなさんは精一杯頑張りました・・・

大震災を体験して私の思うことですが、自然災害の恐ろしさは人間の英知を持ってしても防ぎようがないと言う事、東北大震災の訴訟、人間である裁判官が 自然の異常な猛威に対してどう判断出来るのか知りたいものです・・・

ただし、金儲けのために、自然破壊をする悪徳業者には徹底して断罪すべき・・・

明日の17日は、震災で亡くなられた人たちのご冥福を祈って、みなさんどこかで黙祷しましょう。

前の記事

年末調整還付金の支給