世の中の出来事には全て相反する事象がある

世の中の出来事には全て相反する事象がある。

例えが定かではないかも知れませんが、「生と死」「黒と白」「右と左」言えばきりがないほど相反する事象を言い表す言葉がある。

そういう事実をよく認識してみるのも世の中をうまく生きるためには必要なことかも知れません。

冷静に考え、自分が生きていくために必要な二者択一の選択を求められた場合、その逆の条件を考えてみることが出来るなら間違いの少ない結果を得られると思える。

神様が作ったルールと言う仕組み、それはほんとに完璧とも言える。

我々人間の場合、どれほど賢いと言ってもたかが人間、されど人間、感情の動物とも言われる、だから完璧はあり得ない。

ところで、世の中には自分の不幸、不遇を他人の、社会のせいにする人たちがとても多いが、そんなことは全ては自分が招いていると言ってもいいかも知れない。

天に向かってツバを吐くなら自分の顔に振って来るのは当たり前。

幸せの反対に、何かを犠牲にしないといけない事実があるということもよく考えてみる、「立って半畳、寝て一畳」昔の人が作ったことわざ、人の必要な専有面積、深い意味がある。

何ごとにも過分な欲を求めすぎることは我々にとって一番不幸を招く大きな要因。

素晴らしい野球の大谷選手にも陰と陽の人生、生活があり、それを素直に受け入れて頑張っている姿が美しい。

仕事を休み精一杯遊ぶのも良し、しかし、自分の責任を果たすのは自明の理、自分を大切にする人は他人も大切に出来るはず。

最近色々な人達の死についてよく考えさせられる、特に若い人の場合はほんとに辛い、私は過去に少なくとも10回くらい死に損なったことがあるが理由や原因は様々、

しかし、不思議なことに多くの身近な人の助けもあり、その都度危機を全て乗り越え今がある。

人間は生まれながらに運命と宿命を背負って生きているのかも、私の場合は生まれながらに何かを成すべく役割があり、どう考えても神様に生かされているとしか言えない。

そう思えば多くの人々のお世話をさせて頂き、仕事も含めて日々を頑張って生きる、そうあるべきと思っている。

ところで、法律で働く人の活動を厳しく規制すれば人は幸せになれるというのは単なる幻想、人間の増上慢そのもの、世の中は濁りの世界、楽しく生きるために人間社会には何事も多少

の濁りと言うゆとりが必用と言える。

15日の土曜日、神戸の三宮、若い人たちが路上にあふれてとても楽しそうでしたが、その場が賑わいのある遊びの場を提供しているお店や遊ぶ人達で濁っているからこそみんな楽しめてる。

人間社会、楽しく生きれるように秩序ある自由が好きなおじさんの遊び心・・・笑