風呂の湯~・・・

風呂の湯~、よく言われるゆ~だけやー・・・

ま、その言葉の参考になるのは国会での野党のみなさんの質問、単なる批判だけ、言うだけなら誰でも言える・・・

しかし、経営者になると一度自分の口から吐いた言葉は呑み込めない、責任が伴うのですから非常に大変です・・・

あれが無いから、これが足りないから、皆さんもよくそんな言葉を口にされていませんかね・・・

何事も人のせいにすれば自分の責任を問われなくて済みますもんねー・・・

いつも国会の討論を聞いていて、反対の反対を言うだけでなく、ここをこうしたらどうですか、やりましょうよ・・・

こんな前向きの発言がなぜ出来ないのかいつも不思議に思います・・・

野党の国会議員さんも若い人達がいるのに、おじんと一緒で、まともな提案ひとつ出来ないのはほんとにみっともない・・・

人の足元をすくうようなみっともない言い訳発言でなく、なぜ堂々と前向きな提案をしないのか不思議です・・・

お互いに討論しながら知識を活かし知恵を活かしてこそ少しでも前に進むことが出来るのです・・・

自分の将来は自分の努力で作る、そんな前向きで積極的な生き方をして行く方が人生は楽しいものです・・・

一般社会においても、若者はぐだぐだ人の批判ばかりしていないで、俺が、私が、こうしたら、このようにと何事も若さを存分に活かして欲しいものです・・・

昨今はいかにも人生がわかり切ったような若年寄が増えてきているようですが、そんなオジンの考え方はやめて、人生の花の時は情熱を燃やす、そんな生き方をして欲しいものです・・・

これも、何かというとパワハラ、セクハラ、というように、万事法律でがんじがらめの社会にしてしまったがゆえの事象かも知れませんな・・・

しかし、いくら法律を粗製乱造しても、人間の本質まで変える事は非常に難しい・・・

法律を作る前に、子供に教育できちんと善悪、人への思いやりを教える方が余程人間らしい人間を育てられると思う次第です・・・

この国の指導者たちは若者にチャレンジすべき夢を与えようともせず、金、金、金、金さえ与えれば良い、何か道理の道を踏み外しているように思えますね・・・

若者が情熱を燃やせない社会では、いくら法律で規制しても人間社会は変えられないように思えます・・・

風呂の湯~・おじさんのぼやき。

 

 

 

 

 

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