突然ですが、とても大切な友人を亡くしました

突然ですが、とても大切な友人を亡くしました。

株式会社神盟の会長、元マンション開発デベロッパー「株式会社兼北」の元社長。

約30年以上お付き合いして頂いた大切な友人、人生の大先輩、台風の情報が飛び交う今夜はお通夜、明日はお葬式。

二人でいろんなことにチャレンジ、故人の北川様が垂水の神戸市社会福祉協議会に3000万円もの寄付をして、障害者施設の支援をされ、それに対して問題が発生、垂水区長様から私に神戸マイスタ―として和議のコンサルをして欲しいと頼まれ、その寄付に対する問題を処理させて頂き、無事に北川様が納得される寄付金の処理を終えさせて頂きました。

その結果、障害者施設と民間企業がコラボされ、現在は共に大きく発展成長されたのですから素晴らしい社会貢献になりました。

また、明石駅前再開発、これは当時の明石商工会議所の会頭をされていた、竹原化学の元社長安藤様とゴルフコンペに向かう車中で、小塩さん、駅前のダイエーの店舗も撤退し、明石駅前が非常に錆びれてきて北口市長もどうしたものかと大変困っているとのお話、なんかいい方法は無いかと言われ、私も明石で永年遊ばせて頂いて、地元の皆様とお付き合いも多くなっていましたので、何かお手伝いできればと思い、相談する心当たりがありますから少しお時間を下さいと言ってすぐに行動を開始。

相談のお相手は、当時兵庫県で飛ぶ鳥を落とすような勢いで発展成長されていたマンションデベロッパー、株式会社兼北の社長をされていた北川様。

当時、他の開発物件で開発事業化を進めていた物件がとん挫して、用意されていた120億円の資金が浮いてしまったことを、私がその開発事業に関しても色々お手伝いしていた関係で知った事から、その資金で明石駅前のダイエ-後のビルを購入し、マンション事業を通じてJR明石駅前を再開発してもらえないかと相談を持ち掛けました。

北川さんから即座に、明石市長と明石商工会議所の会頭がご支援してくれるなら取り組んでみますとお聞きし、お二人に同席して頂き、明石駅前の再開発をしたいのでご協力をお願いしたいとお話をしたら、再開発事業ならぜひお願いしますと言われ、北川さんは迅速にダイエーのビルを購入する為の行動を開始して下さいました。

ほんとに大変な出来事ばかり、ダイエーの後にパチンコ屋を開業したいと言う業者が現れ、価格競争に、途中第三者からとんでもない事をしでかされ、2憶も上乗せして購入させられたのです。

しかし、故、北川さんは、その時明石駅前にパチンコ屋を作らせるような事は絶体にさせないと男気を出され、高値での買収を実施されました。

開発開始当初は高層マンションを2棟建てる構想で設計されていたのですが、完成までの12年間の間に世界経済不況のリーマンショックがあり、開発中心にいた兼北様が自己破産される大変な事態になり、他の開発業者に引継ぎをされ、現在のように高層マンションは1棟になりました。

また、北川さんのマンション開発会社は倒産致しましたが、非常に責任感の強い方で、他の事業で見事再起され責任のある借金は全て返済されましたことを故人の名誉のためにお伝え致します。

ほんとにまさか、世の中大変なことは起こるものです。しかし、それを関係者の皆さんが一丸となり乗り越えて、今の明石駅前のような立派な街づくりが出来ました。

私は駅前開発の仕掛け人をさせて頂きましたが、事業に参加は2年程度で明石市に駅前開発の部署が出来たタイミングで、お手伝いしたのは営利目的でない為、以後は開発事業に関わらないことにさせて頂きたいとお断りして退きました。

明石駅前再開発は、北川様と言う方がおられて初めて再開発の事業化が出来、立派に完成し、今では明石市民の皆様が大変喜んでおられることは私にとりましてもほんとにうれしいことで、故、北川巳代治様には感謝しきれない思い出です。

ほんとにとても大切な人生の友人を亡くしました。

心より故人のご冥福をご祈念申し上げます。

感謝合掌

追申

沢山の関係者の方々が葬儀にご出席され、無事に終わりましたが、人の人生のあっけなさ、諸行無常を改めて感じる次第です。

なぜ、この方がいなかったら明石駅前の再開発は出来なかったのかということ、再開発を始めてわかったことですが、実は明石市民の皆さんは環境を変える事にかなり抵抗を感じられる

ようで、唇のすぐ下まで水が来てもまだ息が出来る、そう言うおっとりした市民性があると言う事を知りました。

明石市は元々が武家町のためかもしれませんが、何かを変えるためには外部の強力なリーダーシップを持たれた方の応援が必要なのでしょう。

開発当初、私がブログに開発の内容を書きましたら、明石の住民の方から、そんなこと書いたら明石の住民から非難されるから消去するようにと言われ、消したことがありました。

何はともあれ、故人は明石の人達の未来のために街を少しでも住みやすくしてあげたい、こう言う一徹な気持ちをお持ちの方でした。

明石市市長室の隣の会議室で関係者が集まって計画の協議をし、美味しいお弁当を頂きながら、ああ、大きな公共工事などはこのよう形で進められ、報道に出た時は全て整っていると言う事なんやと、とても勉強になった事を思い出しました。

ほとんどの大きな事業の場合、なぜそう言うことが出来たのか、最初のいきさつや途中の経過を知ることはなかなか出来ないことですが、明石の駅前再開発はほんとに偶然の話題や条件からから現実へと進んだこと、偶然とは言え、明石市の街作りの歴史に関わる事業に関与出来たことは、故北川さんや私にとって一生の思い出、 世の中ほんとに面白いものですね。   おじさん経営者の報告です・・・笑