欲望の時代

日本もかっては努力、我慢、協調が美徳でしたが、今は自分らしさ、自由、楽しさが重視される時代になったようだ。

欲望の多様化、個人化が進んでおり、ある意味利己主義の時代かな、お金は欲しい、休みは欲しい、仕事はしたくない、まるで天からお金が降って来ると思っているのか、

国民の多くが公務員のみなさんのような働き方に近くなってきているようで、人の為に働き多くの人達を喜ばしたい、社会風潮としてそう言う意識が欠如してきつつあるようだ。

仕方がないとしか言えない、それもそのはず、政治家や政府の行政が転職を煽り、働く楽しさでなく、たんなる義務として指導する結果、働くことに興味を失う国民が増えた。

ほんとは仕事もゲームのようにとても面白いものだが、単なる義務としてする仕事に面白さは感じられないのは当然だろう。

日本国民の遺伝子は地域を大切にし、お互いに助け合い、真面目で人間的情緒豊かな民族、それを政治家や政府行政が単なる金儲け主義の国民に変えているのではないだろうか。

ボランティアで人助けをしてる人たちを見るとなぜかほっとして応援したくなる。

昭和の時代にスーダラ節と言う歌が流行り、無責任を横臥するサラリーマンを面白可笑しく演じる芸能人、そう、植木等と言う芸人さんが超人気者になったことがある。

さて、その結果どうなったのか、これから5年後頃には人手不足は今以上に厳しくなり、もしかしたら多数の企業倒産が多発して失業者が蔓延する経済状況の時代になる可能性もある。

なんせ、働くことを嫌がる社会風潮、それを醸成する国会議員のみなさんや中央省庁の行政、自民との総裁選でも顕わな権力志向の国会議員、国民の方向を向いてほんとに国家の長期的

展望さえ示せない、野党も多様性で好き勝手なことばかり、まるで風呂の湯的に綺麗ごとばかり並べて欲の深い言いたい放題。

なぜ、こんな方向性も一貫性も持てない考えかたをする国会議員の皆さんを選んでるのか、それは国民と言う有権者が面白半分にゲーム感覚で選んだ結果とあきらめるしか無いのかな。

より多くの金さえ与えればいい人材を雇用出来て問題が解消する、安易にそんなことを考えて、国民に言い訳をしながら自分達の待遇立場を改善し、その結果国民は更に税金を

増やされる、足りなければ徴取すれば湯水の如く原資を作れる税金、国を上げて欲望の時代を作っているが、いつかはその結果、経済も国民の人間性も破綻する時が必ずやって来る。

リーマンショックのような経済問題なのか、はたまた、南海トラフの地震なのか、「まさか」はいつ起きてもおかしくない不安定な時代、後悔先に立たず、常に謙虚でありたいもの。

欲望の時代、AIは単なるデジタルであって神様ではない、我々生身の人間は美しい地球と言う宇宙で唯一のオアシスに生かせてもらっていると言うことを忘れないようにしたいもの。

経営者として欲望の時代に一生懸命働く社員、従業員のみなさんの生活を守る責任は非常に重い。

来週の21日頃、黒枝豆の刈り取り、新鮮で美味しい黒枝豆を社員や従業員の皆さんにプレゼント、とても楽しみ。(笑顔)

孫たち世代の将来を案ずるおじさん経営者の独り言・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前の記事

不確実で多様性の時代

次の記事

国会議員さんの年収